Tue, 27 Jul 2004
すごいえらそうなタイトルだが、著者もあとがきで「公正な評価をめざした、といえば嘘になる」と述べているように学者についての評価は、著者の立場からみた印象が中心になっているため、この種の本に期待する、痛快感はない。
一方、第二部の「大学の中と外」は独立行政法人化等、変化しつつある大学というものに対して、その中にいる大学人の化けの皮をはがし、アカデミズムとジャーナリズムが近付いていることを示している。知識人の意味が変化したこと、消費の価値が変化していること、大学教育のビジネス化などを論じた第九章が一番興味を持って読めた。
というのも、文系の学者の世界の紹介が主題であるため、特定の個人の思想史であったり、個人の間の論争の紹介であったりというのが多いが、その論争になっているテーマ(哲学、思想等)に興味がなければ退屈だからかも。研究の手法などを紹介してくれたら理系人間にも受けたのでは?
章末の採点表は蛇足だろう。
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Sun, 18 Jul 2004
数年前、世間にIT革命と言う活字が躍っていたころ、一方で情報化投資の結果が生産性の向上に結びついていないというソローのパラドックス「あらゆる分野でコンピュータの時代だといわれている。ただし,生産性の統計以外では」という言葉があった。(例えば
情報化投資と企業収益との関係など。)
現在はパラドックスは解消され、ニューエコノミーは存在するというのが定説らしい。ニューエコノミーの基本的な考え方になっている「内生的成長論」によると、IT投資は「収穫逓増、独占的競争、イノベーションの内生化」を通じて経済成長に貢献するらしいが、多くの予測で言われている収穫逓増についても、そんなに楽観的には考えてよいものだろうかという気がする。ネットワーク外部性におけるメカトーフの法則:端末がn個になると、接続数はn(n-1)個になる、がその根拠になっているかもしれないが。
何が言いたいのかというと、人間の数、人間の情報処理能力が、生産性向上のボトルネックになるのではないかということ。統計的データもないし、あくまで印象に過ぎないのだが。
解消されたといわれているソローのパラドックスも、景気の影響が情報化投資の影響よりも大きかったのでは、という疑問と、まだ人間の情報処理能力の上限に達していない段階での統計だったのでは、という印象があるのだが、どうだろうか。
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Thu, 08 Jul 2004
7月7日付のニューズウィークでは「英会話の科学」が特集されている。
そこで英語と日本語のリズムの違いとして、英語では「ストレス」を手がかりにして
単語を切り出しているのに対して、日本語では「モーラ」で音を切り分けているという。
英語と日本語で音の認識の仕方が違うというのは、昔英語を勉強したときにも
あったが、「モーラ」という言葉は出てこなかった。探してみると、
NIME Newsletter
にもストレスとモーラによる音の認識の違いが述べられている。それによると
英語のリズムではシラブル(音節)が単位になっていて、ストレス(強勢)のあるシラブルは際だち、逆にストレスのないシラブルは弱く目立たなくなります。これに対し、日本語のリズムはモーラ(拍)単位になっていて、しかも、ストレスがありません。このため1モーラの大きさはほとんど変わらず、ピッチが変化します。
とのこと。英語を聞き取ることは語彙力とか文法とか以前に音声の問題があるのかもしれないな。こういう音声学の成果を活かした英語教材はないものでしょうか。
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